Vol.6 『 親が嫌い。 』
…本当にやっかいなことなんだけど、実は、僕は親が嫌いで・・・
これを公で言うのは初めてなんだけど、
すっきりさっぱり言って、僕は、自分の親を好きでないのです。
はっきりとした明確な理由はわからないのだけれど、とにかく、一緒にいると、なんかこう、細胞がざわつくというか、とてもひどく激しい嫌悪感が心を支配します。
一度、心理学の先生にでも見てもらえば、理由がわかってくるとは思うのですが、なんとなく自分でそのことをタブーにしている気がします。
だから、一時期、流行った、軽佻浮薄に自分の両親、リスペクト!!みたいな安いラッパーとかの曲を聞くと、FMラジオをバットでぶん殴りたいような気持ちになります。
僕の子供は学校でも背が低いほう。僕自身もずっと小さかったので、なんとか、息子だけでもでかくならないかなあと、チーズばかり食べさせる。しかし、ついに、飽きたみたいで最近は食べない(笑)
でも、その感情に心当たりはあるのです。
それは、やはり、僕の子供の頃のことです。
僕は母子家庭に育ったのですが、母親はよく夜、外出をしました。
どうやら好きな男性がいたようです。
大人になれば、自分の母親をひとりの女性として理解することは可能ですが、その頃の僕には無理でした。
夜になるといそいそと、化粧をして出かけてゆく母親の姿を横目に、
かなりの確率で僕は、夜、一人ぼっちでいた記憶があります。
母親ではなく、一人の女として家を出てゆく後姿を見て、布団の中で一人、泣いていた記憶があります。
これが、その後の、僕と母親の関係の全てをつくったように思えます。
おそらく、間違いなく。
子供の頃の淋しい思いというのは、思春期に入ると、殺意に近いものにまで膨らみます。
実際、僕自身がそうでしたから、まず、間違いないと思います。
そして、そこから正常な関係になるというのは、並大抵のことではありません。
それこそ、一種、殺し合いみたいな部分もあるのかも知れません。
うちにも、そんな精神の殺し合いみたいなものがあった気がします。
そんな殺伐とした環境で生きているのが嫌で、成人するとすぐに、家を飛び出し、僕は母親のもとを離れました。
そして長い間、距離をとって生きてきました。
とはいえ、そんなこんなですが、現在は、僕は母親と同居しています。
子供が生まれたのを機に、一緒に暮らすことにしました。
同居の理由は簡単で、好き嫌いは置いておいて、年老いた母親を一人で暮らさせることには、やはり抵抗があったからです。
しかし、それでも、家の中ではあまり接触を持ちたくないため、言葉を良くすれば、お互いのプライバシーを守るように、生活には線を引いている感があります。
正直、今になっても、できるだけ、会いたくないのです。。。
しかし、そんな生活をしながら、こうも思います。
子供に嫌われる親というのは、なんて悲しいものなのだろう。
自分に子供が生まれて痛切にそんなことを考えるようになりました。
親が子供に嫌われる。
この世にそんな悲しいことがあって、いいのだろうか。
そう感じてからは、僕も自分の母親に少しだけ優しくなった気がします。
少しだけ、彼女のことを認めようとしはじめた気がします。
もしかしたら、ここが本当の意味での僕の、親離れの始まりなのかも知れません。
人は自分を傷つけたものを、許さないかぎり、永遠に大人にはなれないような。
そんなことを子供の寝顔を見ながら思うファミリーデイズなのです。
僕は子供に嫌われない親になれるだろうか。
それとも。
・・・続く
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